実用書

人間にとって成熟とは何か?曽野綾子の「大人」ってなんなのだろう?

平成30年度現在、僕は22歳です。

成人してから2年ほどたっている。
20歳というのは法律的に,または数字的に言えば大人になったと言えるかもしれません。

数字で区切ってしまえばその境界線は単純明快で、大人と子供というのがはっきりします。

しかし世間的に、あるいは社会的にいう”大人”というのはなんなのだろうか。

なんとなく大人といわれて考えたのは、自立はもちろんのこと心の成熟、論理的にも直感的にもしっかりした考え方ができる人なのかなと思っていました。
「しっかりした考え方」これもまた曖昧な話ですよね。

人間にとって成熟とは何か

大人とは何かという切り出し方ではなく、「成熟」という言葉選びにセンスを感じました。
単純に大人というよりも、成熟というほうが具体的で、かつ狭義的で、価値があるようにきこえませんか。

たぶん世の中にも「大人」はたくさんいますが、「成熟した人」はそう多くないといわれたら納得できそうです。

初版発行時に82歳、ローマ法王からの十字勲章受章、日本財団会長などそうそうたる経歴をもった作者が語る重みのある本でした。反面、年代の違いもあり現代的センスや時代の流れに頑なに批判的な意見も散見される本でした。

しかしそんな批判的意見も含め、この本に書かれていることは作者の人生に裏打ちされた、どれも自信にあふれた文章です。
素直に読み進めていけば自然と自己に落とし込めるような素敵な内容でした。

まさに作者の経験と思考を熟成させて集大成にしたような、成熟された本です。

僕の考える成熟した大人

作者は個人の気持ちの内面的な話から、災害時における人々の行動の在り方など外面的な話にまで広く言及しています。

なので僕もその2つの観点で意見してみます。

個人の内面的に成熟してるなと思わせるような人は、芯がある人だと思います。
それは一つの考え方や人道を持っている一本の芯をという意味でなく、その人の価値観や思想などがいくつも重なり合って一本の太い芯になっているということです。

そういう意味で芯が通っている人は、個人としての存在感がくっきりとしている印象です。

また外面的には、受けるよりも与えることができるかということです。
さらにいうと、自己犠牲を伴って与えることができるかということだと思います。

極端な例を出すと、募金に1万円を出せるかということです。
財布に余っている小銭ではなく、生活を少し圧迫してでも他者のために尽くせるかということ。聖書的にいうなら隣人愛。

思いやりや同情ではなく、親身に寄り添って他者のためになれるかということです。

とある夫婦に子供ができたとたん、大人の顔つきになったという話をよく聞きませんか。
子育てをすると親も成長するといわれています。

それは親が自分の時間とお金をかけてでも、守る対象をもったからでしょう。
もちろん子供への愛情をそっくりそのまま他人に当てはめるのは難しいですけど、人として成熟するというのはそういった過程を踏んでいくことなのかなと思いました。