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村上春樹の1973年のピンボールを読んだ【感想/レビュー】

1973年のピンボール

ピンボールって、昔は現実のレトロゲームとして存在していたんですね。
僕はウィンドウズのパソコンなどに標準搭載されている、PCゲームしか知りませんでした。

この本を読んでいたら、なんだか実際のピンボールをやってみたくなりましたよ。

1973年のピンボール

1973年のピンボール
作者 村上春樹
出版 講談社
初版 1980年6月17日

デビュー作「風の歌を聴け」に続く春樹の2作目です。
3作目に「羊をめぐる冒険(上・下)」が続くのですが、話が全部繋がっているんですよね。

僕は1作目と3作目を数年前に読んでいますが、なんでそんなわけわからない順番で読んでいるんだろう。

さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る一つの季節の終わり。

本の裏表紙から一部抜粋しましたが、これは青春小説といえるのでしょうか。
孤独な<僕>が強調された、モノローグストーリーという印象でした。

ちなみに本作について(村上春樹作品全般)のわかりやすい読解をされているブログがありました。
本の内容のあちこちに伏線が張ってあり、3部作にとどまらないキーワードが散りばめられていて難しいですね。
「1973年のピンボール」書評

あらすじ

大学生時代の<僕>と直子についての回想シーンから始まります。

この直子はノルウェイの森に登場する「直子」ですね。彼女は自殺し、<僕>はピンボールに夢中になります。
このあたりの繋がりに関しては、前述して紹介したブログに詳しく書かれています。

大学を卒業した<僕>は友人と翻訳事務所を立ち上げ、仕事は順風満帆でした。
生活はある双子の女の子と暮らしており、彼女たちが物語の一つのキーとしての役割を担っています。

あるとき夢中になっていたピンボールを、呼び起されるかのように思い出します。必死に手掛かりをみつけ探し出したのが、ピンボールマニアの倉庫でした。
このときに物語はもう終盤ですが、<僕>とピンボールとの対話が繰り広げられます。ピンボールはやはり死んだ直子の暗喩のようですね。

一方で鼠の物語も同時進行しており、彼は新聞広告で出会った女と恋をして、別れ、街を出ていきます。

みどころ

正直1作目と3作目を読んだのが何年も前なので、そのあたりの繋がりから紐解く面白さというのはまだわかりませんでした。
それでもこの本単体で読んでいても、盛り上がりを見せるようなみどころはあります。

<僕>が昔夢中になっていたピンボールを見つけ出し、対話をするシーン。寒くて広く、もと養鶏場という臭いのたちこめる独特な空間。
このシーンは読んでいてもピンボールをピンボールと思わせない、書き手の技術の結晶が込められているような気がしました。
特別な空間と主人公の心境描写によって、現実のようでそうでないカットを生み出しています。

鼠がジェイズ・バーで別れを告げるシーン。こちらも物語の終盤ですが、急速にストーリーを収束させていくような魅力がありました。
それは鼠が街を離れる寂しさなのか、なにか死のフラグをたてているからなのか。
ジェイの態度や言葉にも含みがある感じで、なにかを見透かしているような気がして、それがより切なさを助長させている気がしました。

また読み直そう

ここまで本作について書いたが、3部作であるのに順番に読んでいなかったので、内容の繋がりがとても断片的になってしまいました。

また風の歌を聴け、羊をめぐる冒険を読み直して、3作読み通した感想を書こうかなと思っています。
ノルウェイの森に関しては、もう5年以上前だった気がします。

せっかく読んだ本もすぐに忘れてしまうもんですね。

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