イマジネーション

ワールドカップを観戦しない人は非国民なのか?【応援する心理】

ワールドカップ…盛り上がっていますね。

ニュースも、SNSのタイムラインも、渋谷も、全てがサポーターの一体感ある空気に包まれている気がします。

ところで僕の家にはテレビがないので、当然リアルタイムで観戦することができませんでした。
そもそも余り興味がないので、テレビがあっても観なかったと思います。

そんなわけで先日、僕の知人から

知人
知人
お前はサッカーを観ずに応援しないなんて非国民だ!パソコンで見れないのか?

と言われてしまいました。

もちろんそんなこと本気では言ってないでしょうし、僕も冗談として受け止めているので、険悪な話でもムッとしたという話でもありません。

ただその時に、なぜ普段サッカーが好きなわけでもなく、ルールすら知らない人まで熱狂的に応援をするのか。
ワールドカップの何がそこまで人を魅了するのか、疑問と違和感を抱きました。

単純にサッカーが好きな人もいるでしょうし、一応この先の文章のために断っておくと、サッカーを応援することを批判するわけではありません。

商業的な背景にみるメディアの煽り

まずワールドカップを応援してしまいたくなる話よりも、ここまで日本をサッカームードに包み込んでいる世の中に疑問を持ちました。

日本とコロンビアの対戦の視聴率がNHKで48%を超え、瞬間最高視聴率が55%を記録したことも話題になっていました。
驚異的な数字ですよね。

アイスランドにいたっては、サッカー視聴率が99%なんだとか。

ここまでのサッカーに注目を集める空気感を作り出しているのは、当然テレビの存在が大きいのでしょうが…。

その一因として考えられるのが、スポーツ試合の商業主義化です。
スポーツ選手のギャラってめちゃくちゃ高額じゃないですか。あまり詳しくないですが、最近は選手の強化にかかるトレーニングや遠征といった費用も大きくなっているみたいです。

すると必然的にサッカーの試合の放映権料も高くなり、テレビ局もそれを回収するためにCMをたくさんうちます。

試合のキックオフよりもずいぶんと早く番組が始まったり、選手のサクセスストーリーをドキュメント番組にしたもの、過去の日本の試合を遡って試合予想をたてたり、サッカーにまつわる番組がたくさんあるのもそのためでしょう。

サッカーに関する番組枠をたくさん作り、テレビ局が頑張って世間を盛り上げ、そこにCMのスポンサー企業を多くつけることで、結果的に視聴数と広告費を回収するのでしょうか。

  • いまやサッカーの試合自体がメディアイベントのような盛り上がりになっている
  • そこから多くの人々が動員されることで商業的な動機付けになり、煽られた感動が口コミやSNSを通じ現実に還元されるという構図

あえて、「煽られた感動」という言葉を選びましたが、事実だと思っていますし悪い意味ではないです。

たぶんテレビが試合だけを淡々と放映して、ニュースでもサラッと取り上げるだけだったらワールドカップはこんなに盛り上がらないでしょう。

試合に関する背景や詳細情報を知ることで、そこに視聴者の思い入れのようなものが生まれて、後の感動に繋がるわけです。
先にも述べましたが、テレビ側も枠をたくさんとって数字を取りたいところです。

煽るというよりも、人々を感動に扇動してくれるWinWinの役割と言えるでしょうか。

心理的側面から見た応援をすること

もう一つは自己イメージを高めたいという心理的な働きがあるのではないのかということです。

メンタリストのDaiGoさんいわく、スポーツ観戦における試合の結果を発言する際の主語にそれが表れるようです。

試合に勝利した場合…我々が勝った」
試合に敗北した場合…彼らが負けた」

これは個人でも、メディアでも身に覚えがあるようなフレーズですよね。

勝者と自己の結びつきを強めるような言い回しで、自分自身のイメージが高まったような感覚になるのです。

そして、この「我々」というワードに、応援を通じた僕たちのグループ感情のようなものがつまっていると思えないでしょうか。

ワールドカップとなると、選手たちは国の威信をかけて世界の大ステージで活躍することになります。

このように他国を意識したナショナリズムと、時代の変遷によるグローバル化やSNS等の発展で世の中が複雑に混沌と化している中、僕たちが自身のアイデンティティを選手たちに投影させるという考え方もうなずけます。

とくにストレス社会と言われる日本において、日常における不安や不満といったものをうまく抑え込み、「我々」の一体感で盛り上げてガス抜きをするという大きなうねりがあるような気もします。

結局僕は非国民なのか??

たかだか日常のワンシーンのジョークをそんなに真剣に受け止めるなよと思われそうですが、昔から疑問に思っていたことを考える良い機会になりました。

僕は小学生の頃にずっとサッカーをやっていましたが、やはりその頃からプレイするのは好きでも観戦するのは退屈でどうも好きじゃありませんでしたね。

なので上級生たちから、サッカーやってるくせに○○選手も知らないのかよとたしなめられるようなこともあった気がする…今ではかわいい思い出ですね(笑)

 

それに日本代表を応援しないのが非国民と批判するのなら、サッカーに限った話ではないんじゃないの?と、やんわりと煽っている記事もありました(‘ω’)
ワールドカップに興味がない人は非国民?1mmも興味ない僕が思うこと

一番の感動を得るのは選手たち本人

「感動をありがとう!!」とか、「日本が感動に包まれています!!」とか。

僕だったら、日本がワールドカップ決勝の勝ち越し点をあげたとしても、ジュニアのしょぼいサッカーをやっていた頃の自分の思い出の一点の方が感動が大きいです。

結局僕らのもとに届く感動というのは、メディアというフィルターを通した選手たちのおこぼれにすぎないんですよね。

これからも自分が誰かに感動を与えられるような、そういった生産的な立場で生きていけるように頑張りたいものです。

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